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  • 執筆者の写真ソプラノ歌手 西尾 薫

1月17日(金)祈りのコンサート2020



牟良登理能。和賀牟禮伊那婆。


これは、スペインのバスク地方の作曲家 ハビエル・ブストーJ.Bustoが、阪神・淡路大震災の追悼のために作曲した 『Missa pro defunctis(死者のためのミサ)』の詩の一部分です。

神戸市混声合唱団のメンバーとして、 1月17日(金)祈りのコンサート2020で歌います。

全部で9曲で構成され、今回は、 第3曲「Offertorium」奉献唱 第8曲「Antiphonia~In Paradisum」交唱~楽園へ そして終曲、第9曲「Kojiki Cogitatio」を演奏します。

8曲までは典礼文のラテン語。 しかし第9曲の歌詞はmuratorino waga mureinaba… 初めて見たときは、どこの民族の言葉かいな!?と思いましたが、

日本語でした。 Kojiki=古事記でした。 「Kojiki Cogitatio」=「古事記に想いを寄せて」

これについて調べていたら興味深い記事を発見。 http://www.fonte-jp.net/dengon/index.html

すみません勝手に引用させていただきます。 こちらによると、 ブストー氏は1998年の演奏会のプログラムのライナーノーツに、

『聴く人々の宗教が何であれ、人々の心を一つにするような祈りの曲を作ろうと心がけました。 この曲の終わりの部分には古事記からの詩を引用しました。 というのは日本の皆さんにできるだけ近づいていたいと願うからです。 死の悲しみは世界中皆同じです。』

と書かれていたそうです。


古事記てそもそもなんぞや。 漢字でかかれてますが、漢字自体に意味は無いのかな夜露死苦的な?…


🌟牟良登理能。和賀牟禮伊那婆。比氣登理能。和賀比氣伊那婆。那迦士登波。那波伊布登母。夜麻登能。比登母登須須岐。宇那加夫斯。那賀那加佐麻久。阿佐阿米能。佐疑理邇。多多牟敍。🌟


音の流れにこだわっているようです。 この曲にに引用されている部分は、 嫉妬心の強い正妻スセリヒメに対し、夫オオクニヌシ(大国主)が詠んだ歌から抜粋されているもの。

🌟群鳥の 我が群れ往なば 引け鳥の 我が引け往なば 泣かじとは、汝は言ふとも 倭の 一本薄 頂傾し 汝が泣かさまく 朝雨の 狭霧に 立たむぞ 🌟

このへんすごいざっくり訳すと (間違ってたらすみません!)

オオクニヌシは、愛するスセリヒメと結婚するために、スセリヒメの父スサノオからのかーなり厳しめの試練に何度も挑み、スセリヒメの助けもありやっとの思いで認めてもらえて、正妻にできました。

しかしオオクニヌシには他の国にも妻がいて、、 結局スセリヒメの強い嫉妬心から逃れようと大和の国へいこうとしていたところをスセリヒメに見つかり、この歌を詠みます。

「黒い衣や青い衣(他の女神たち)は私にふさわしくない。 茜色の衣(正妻スセリヒメ)がふさわしい。 🌟私が群れ鳥のように旅立ち、引け鳥のように皆を引き連れていなくなったら、あなた(スセリヒメ)は泣かないと言うけど泣くだろう。その涙で霧がたちのぼるに違いない。🌟」

スセリヒメからも夫に対し歌を返します。 「貴方様は男ですから、どこにでも妻がいるでしょう。しかし私は女ですから、貴方の他に夫はいません。私と一緒にいてくれませんか。この御酒をお召し上がりくださいませ。」

そしてすぐに仲直りの杯を交わし合い、今に至るまで夫婦仲睦まじくご鎮座されているそうです。

オオクニヌシも、スセリヒメも愛に生きた神様で、良縁の神様としても有名で、オオクニヌシはあらゆる分野にご利益のある神様です。


ブストー氏は何故 死者のためのミサの最後に、この歌をいれたのでしょう。。


ブストー氏はライナーノーツではこうもおっしゃっています。

『私が今まで見てきたお葬式は何の希望もなく暗いものでした。 このことがそれ以来ずっと私の心に残っているので、この曲を作曲するにあたっては、美しい旋律でハーモニーも美しく、かつ大震災の犠牲者の皆様への追悼の気持ちを込めた曲になるように努めました。』

死者のためのミサを、暗いものではなく、希望のある祈りにしたかったんでしょうか。 この混声合唱とクラリネットのためのMissa pro defunctis死者のためのミサは、震災後に神戸中央合唱団http://kobechuochorus.com/の委嘱を受け作曲されました。本当に美しい旋律、ハーモニーです。


あれから25年。 神戸市混声合唱団と神戸市室内管弦楽団は、震災の翌年から毎年祈りのコンサートを行ってきました。

今年も、1月17日(金)18:30開演神戸文化ホール中ホールで祈りのコンサート2020を行います。

自分は震災当時は幼稚園児。大阪府河内長野市の自宅でいて周りも被災はしませんでした。

2020年の今、縁あって神戸の地で演奏活動をしています。



今私が演奏させていただいている神戸船の旅コンチェルトは、シルフィードという名前だった頃被災し、道路がだめになったことで、被災者や救援物資をぱんぱんに神戸大阪間を運んでいたこともありました。一時は休業余儀なくされましたがコンチェルトに名前をかえ今は神戸港を周遊するレストラン船として神戸の魅力を発信しています。

所属している神戸市混声合唱団は、毎年の祈りのコンサートの他にも、当時避難所となっていたしあわせの村で、音楽で被災者を元気づけようとマンスリーミニコンサートinしあわせの村を先輩方が始められ、 今でも欠かすことなく毎月続けられていて、私も度々出演していて293回目を終えたところです。



私の中で1月17日は、あれから今が続いているということ を改めて考える機会になっています。人々への感謝を感じるとともに、震災を風化させてはならない、災害への備えをもたなければならない、ということ。自分に何ができるか、ということ。


つらい思いをされた方々の気持ちに寄り添うことはできても、すべてを理解することはできません。

昨日の、あじさいコンサート。震災のときはまだこの世に存在すらしなかった子供たちが、「音楽で未来へ心と絆をつなぐ」透き通る美しい声、かつ力強い声で坂本繁氏作詞、臼井真氏作曲の『あじさいを咲かそう』を歌ってくれました。



私自身も、神戸への追悼の想い、祈りを歌声にして、1月17日心をこめて歌いたいと思います。


ブストー氏の死者のためのミサ第8曲目、In Paradisumでは少し独唱もさせていただくことになりました。 この曲は、棺を埋葬する時に歌われます。

In Paradisum deducant angeli. in tuo adventu suscipiant te martyres. et perducant te, in civitatem sanctam Jerusalem. Chorus angelorum te suscipiat. et cum Lazaro quondam paupere aeternam habeas requiem.

天使たちがあなたを楽園へと導きますように。 あなたの到着にあたって 殉教者たちがあなたを迎えますように。 そしてあなたを聖なる都エルサレムへと 導きますように。 天使たちの聖歌隊があなたを迎えますように。 かつて貧しかったラザロと共に あなたが永遠のやすらぎを得られますように。


ご来場の皆様と共に、祈ります。

めっちゃ長なった。ここまで読んでくれはる方ありがとうございます。

古事記がざっくり訳すぎるのでそのへんの全文を載せておきます。

古事記原文: 奴婆多麻能 久路岐美祁斯遠 麻都夫佐爾 登理與曾比 淤岐都登理 牟那美流登岐 波多多藝母 許禮婆布佐波受 幣都那美 曾邇奴岐宇弖 蘇邇杼理能 阿遠岐美祁斯遠 麻都夫佐邇 登理與曾比 於岐都登理 牟那美流登岐 波多多藝母 許母布佐波受 幣都那美 曾邇奴棄宇弖 夜麻賀多爾 麻岐斯 阿多尼都岐 曾米紀賀斯流邇 斯米許呂母遠 麻都夫佐邇 登理與曾比 淤岐都登理 牟那美流登岐 波多多藝母 許斯與呂志 伊刀古夜能 伊毛能美許等 🌟牟良登理能。和賀牟禮伊那婆。比氣登理能。和賀比氣伊那婆。那迦士登波。那波伊布登母。夜麻登能。比登母登須須岐。宇那加夫斯。那賀那加佐麻久。阿佐阿米能。佐疑理邇。多多牟敍。🌟 和加久佐能。都麻能美許登。許登能。加多理碁登母。許遠婆。

読み方: ぬばたまの くろきみけしを まつぶさに とりよそい おきつとり むなみるとき はたたぎも これはふさわず へつなみ そにぬぎうて そにどりの あおきみけしを まつぶさに とりよそい おきつとり むなみるとき はたたぎも こもふさわず へつなみ そにぬぎうて やまがたに まぎし あたねつき そめきがしるに しめころもを まつぶさに とりよそい おきつとり むなみるとき はたたぎも こしよろし いとこやの いものみこと 🌟むらとりの、わがむれいなば、ひけとりの、わがひけいなば、なかじとは、なはいうとも、やまとの、ひともとすすき、うなかぶし。ながなかさまく、あさあめの、さぎりに、たたんぞ。🌟 わかくさの、つまのみこと。ことの、かたりごとも、こをば。

漢字: ぬばたまの 黒き御衣を まつぶさに とり装い 沖つ鳥 胸見るとき はたたぎも これは 適はず 邊つ波 そに脱きうて そに鳥の 蒼き御衣を まつぶさに とり装い 沖つ鳥 胸見るとき はたたぎも これは 適はず 邊つ波 そに脱きうて 山縣に あたね舂き 染木が汁に しめ衣を まつぶさに とり装い 沖つ鳥 胸見るとき はたたぎも 比し宣し いとこやの 妹の命  🌟群鳥の 我が群れ往なば 引け鳥の 我が引け往なば 泣かじとは、汝は言ふとも 倭の 一本薄 頂傾し 汝が泣かさまく 朝雨の 狭霧に 立たむぞ 🌟 若草の 妻の命 事の 語り言もこをば。

口語訳: ぬばたまの黒い衣をていねいに装って、沖の水鳥が首を曲げて自分の胸を見るようにして、袖をひろげて着心地をたしかめたが。これは私にはふさわしくない。波間に脱ぎ捨てよう。カワセミのように青い衣をていねいに装って、沖の水鳥が首を曲げて自分の胸を見るようにして、袖をひろげて着心地をたしかめたが、これも私にはふさわしくない。波間に脱ぎ捨てよう。山で摘んだ茜(あかね)を突いた汁で染めた衣をていねいに装って、沖の水鳥が首を曲げて自分の胸を見るようにして、袖をひろげて着心地をたしかめると、これこそ私にふさわしくよろしい。愛しい私の妻よ、 🌟群れ鳥のように私が旅立ち、引く鳥のように皆を引き連れて行ったなら、そなたは「泣きません」と言うけれど、山の一本のススキのように首がうなだれて、泣き出すだろう。きっとそなたの涙で霧が立ちのぼるに違いない。🌟 若草のような私の妻よ。ことの語りを、こう歌い伝えます






ソプラノ 西尾薫

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