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執筆者の写真ソプラノ歌手 西尾 薫

20代最後の夏


暑い日が続きますが、夏休み、お盆休み、いかがお過ごしでしょうか。



タイトルどおり私は現在29歳。12月が誕生日ですのであと4か月ほどで30代がやってきます。

あの頃はよかったなー的「思い出」として美化される前の今のうちに20代のターニングポイントをまとめようと思いました。

大きくわけて20代はこの5つだったなと思います。

①大阪芸術大学

②中学校非常勤講師 兼 関西歌劇団研修所

③キャストデビュー

④USJ

⑤神戸市混声合唱団



①大阪芸術大学

ライバルに負けたくなくて毎日必死で歌の練習していた。

練習室がお友達。

テスト前になったら急に練習しだす人たちはなんなんだと思ってた。

周りの友達はみんな大学院に進んだけど、いかなかった。

正直将来のことなんて考えずただ目の前の学内オペラ公演に向けて必死だった時、

友達の紹介で、公立中学校の非常勤講師の話があった。

実は母方にも父方にも教師の血がある私。

いつかはやりたいと思っていた職だったのでとびついた。

そこからの3年間は本当に過酷ではあったがとても大切な経験をした3年間だった。










































②中学校非常勤講師

素直でかわいい生徒たち。ぼろかす言われることもあったし、背中にクワガタつけられることもあったし(クワガタ全然平気なのでがっかりさせた)、遅くまで残って模範の歌の録音したりして、大変なことも沢山あった。

でも色んな生徒に出会って、音楽嫌いといっていた生徒が、音楽が好きになったと言ってくれたり、最後の感想文に西尾先生は家族!と書いてくれた生徒や、西尾先生の歌に感動した!と書いてくれた生徒もいた。

ほんとに良い経験だった。もっとできることもあっただろうと思うけど、あの頃の生徒たち、先生方には本当に感謝したい。

元気にしているだろうか。


②兼 関西歌劇団研修所

その3年間と同時進行だったのが関西歌劇団の研修所だ。

研修所とはオペラを学ぶ場所だったが、昼間ジャージで走り回ってから、一瞬だけ家に帰ってスカートとヒールに履き替えぎりぎりで稽古場に到着するのがざらだった。

発声練習なんてしてる間はなく本当にバタバタで周りに迷惑をかけた。

それでも同期の仲間や、先輩後輩、先生方が手取り足取り教えてくれてなんとか3年間やりきった。



研修所を卒業し、中学校の非常勤講師の契約もなくなったとき、違う市の常勤講師の話もいただいたが、「私は25歳で夢を追いかけます。みんなも夢も追いかけて。」

と最後の集会で生徒たちに言って教師業をすっぱり辞めた。


もちろん私の周りで歌も教師も両立させてうまいことやってる演奏家の方は本当に沢山いらっしゃるが、私は器用じゃないので歌をおろそかにしてしまう。

言い訳できないように自分で自分を追い込んだ。





③キャストデビュー

教師を辞めて翌月の4月に、初めて学内や研修所内ではなく「外のオペラ」で役を1本演じた。これがキャストデビューとなった。

プロの現場での稽古は、研修所や大学の優しい雰囲気とは違い苦しかった。

朝起きたら5月になってくれてないかとどれだけ願ったことか。

稽古の最後の方は恐怖すぎて記憶がない。

でも本番はうまくいった、らしい。

西尾はゲネプロ(衣装や照明も本番と同じように行う最後の通しリハーサル)からやっと本気でた。と周りの方から言われた。

それまでも本気出してるつもりではいたんだが・・・。

教師を辞めたことで気づかぬ間にふんぎりがついていたようだ。

今思うとこの時のどうしようもない西尾を最後までしばきたおしてくださった皆様には感謝である。








そこからフリーターと本格的な音楽活動がスタート。

タイミングよく歌手の方が、歌えるウェイターを雇うレストランをはじめて、そこで働かせてもらったり、結婚式の聖歌隊をしたり。アルバイトでなんとかやりながら演奏会やオペラに出演した。


④USJ

そしてひょんなことから、USJのオーディションの話がきた。

面白そう!とこれまたとびついて、

自分としてはきれいめで化粧もちゃんとしてオーディションにのぞんだのだが、

「歌えそうにないところ」が大うけで合格。

あとから分かったが、当時流行りの「フラッシュモブ」のショーだったからだ。

ここで色んな人に出逢えた。

ダンサー、アクロバット、パーカッション、サックス、トランペット、マッチョマン・・

クラシックの声楽家として生きていたらまあ出逢わなかったであろう沢山の仲間に出逢うことができた。






今までの当たり前の価値観がこの出逢いによってつぶされていき、

お客さんと接する距離の近さや、心から楽しんでくれる笑顔をみて、

こういうことがしたかったんだな。と改めて感じることができた。

お客さんの中には、オペラとか全然知らなかったけど興味がわいた!と言ってくださった方が沢山いて、いまだにツイッター等をみて私の演奏会にきてくれる方もいる。

少しでもクラシックの門戸を広げることができたこと嬉しく思う。


一緒にショーをした 仲間のダンスバトルやライブ、ミュージカルを見に行ったりすることができるたのも本当に嬉しいことだ。


そしてそんな楽しいショーも1年でおわり、

ボーカル講師をしたり、母校の合唱部のボイトレにいったり、演奏会やオペラにでたり・・・

予定を組むのが本当に大変だった。今もだが。

⑤神戸市混声合唱団

そして2017年、前々から抱いていた目標であった、私の原点である「合唱」のプロである神戸市混声合唱団のオーディションを受ける決意をした。

無事合格することができ、今は団員として2年目の夏である。

もともと中高の部活で合唱が好きになり、合唱専攻がないので仕方なく声楽専攻にいったくらいの人間だったので、本当に合唱が好きなのだ。


団の先輩方のレベルはものすごく高く、毎週土曜の分単位の濃いいいい練習と、沢山の本番の機会があり、もっともっとうまくなりたいと今までよりさらに思うようになった。


この合唱団は2年契約。来年の3月で誰しも契約を切られる可能性があるという厳しい団である。それゆえ高いレベルを保つことができるのだ。

この団に必要とされる人間になりたいと強く思う。




公益財団法人神戸市民文化振興財団fbページより

https://www.facebook.com/kobeensou/


公益財団法人神戸市民文化振興財団 神戸市混声合唱団サイト

www.kobe-ensou.jp/chorus/





こうして今29歳の夏である。

今月末には24日関西歌曲研究会のデビューコンサート、

そして26日には久々にラブリーホールで自主企画したコンサートが控えている。

9月9日には夙川座公演「ふたりのヨシコ」の李香蘭役もある。

それがおわってもまだ神戸市混声合唱団秋の定期公演「ロッシーニ 小荘厳ミサ」が9月16日にありはじめて1曲ソロをいただいた。

その次は・・・ときりがない。

きりがあったら演奏家としては終わりだ。




挫折したり暗いところはまあまあはしょったふりかえりであったが、

こうしてみると20代は私にとってそんな暗いのも吹き飛ばすような、

本当に素晴らしい機会に恵まれた10年だった。

30代もよかったとふりかえられるように。



これからもひとつひとつの本番を大切にして、

音楽で皆様の心に感動を与えるために、

応援してくださる皆様のために、

そして自分が生きていくために、

頑張ります!











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