しぐれ
しぐれ
もしあの里をとほるなら
つげておくれ
あのひとに
わたしは
今夜もねむらないでゐたーー
と
あのひとに つげておくれ
しぐれ
『しぐれに寄する抒情』 佐藤春夫 詩
私がこの詩に出逢ったのは高校生の頃。
私の日本歌曲集の目次のところに「京芸」と書いてある。
京都市立芸術大学の入試の課題曲であったのだろう…。受けることすら諦めたけど。
さて、この詩には、私が10月11日に演奏する大中恩のほかにも平井康三郎、團伊玖磨など20人をこえる作曲家が曲をつけているらしい。
沢山の作曲家が惚れ込む詩を書く「佐藤春夫」という人物を調べてみた。
もうひとつの詩をご紹介する。
『秋の女よ』
泣き濡れて、秋の女よ
わが幻のなかに来る
泣き濡れた秋の女を
時雨だと わたしは思ふ
佐藤春夫『秋の女よ』より抜粋
時雨(しぐれ)とは秋に降ったりやんだりする小雨のこと。
そんな「しぐれ」に寄する抒情
「もしあの里をとほるなら つげておくれ あのひとに」と詩っている。
「あのひと」は誰なのか?
当時、文豪谷崎潤一郎の妻であった千代を想って詩ったのではないか?と国文学者吉田精一は言っている。
不倫?…かと思って調べていくとえらいややこしい…
そしてド~ロドロ…のやつ😱
谷崎はとてもわがままな性格だったが、千代夫人は献身的に谷崎を支えていた。
にも関わらず!女癖が悪くて、千代の妹セイ子に手をだして、千代をほったらかしにしてたのだとか…
千代の妹との関係は『痴人の愛』のモデルとなっている。
谷崎の親友であった佐藤春夫は、1919年に同棲していた人と別れたところ。
千代の様子をみて同情し、それが恋へとかわり、
谷崎に「細君をください」と申し出た。
一度は承諾した谷崎だったが、千代の妹に結婚を断られたことをきっかけに、その約束を破った。
それが1921年【小田原事件】
谷崎が小田原に住んでいたためである。
谷崎と佐藤は絶交し、佐藤はその思いを『秋刀魚の歌』に書いた。
その後、谷崎のもとへ、和田六郎という青年(のちの小説家大坪砂男)が弟子入りし居候していた。がしかし、和田は千代に夢中!
それを知った谷崎は怒るどころか認めて千代との関係を応援!?した。
条件は、「事細かに二人の関係を報告すること。」
谷崎はそれを自分の作品『蓼喰ふ虫』のモデルとして新聞に載せていた。
って、、こわすぎる!😱
1924年、佐藤春夫は小田中タミと結婚する。
1926年、絶交していた谷崎と佐藤が和解。
その年の元旦に発表された詩集が
『しぐれに寄する抒情』
(あれ、佐藤春夫、新婚さんやのに、千代への想いを詩に綴っている…)
1929年、和田に千代を譲るとした谷崎に、佐藤は猛反対した。(佐藤、結婚してるんちゃうんか‥)
結局和田と千代の仲はうまくいかず和田が姿をくらました。
1930年6月佐藤、タミと離婚。
ようやく佐藤に千代を譲る決意をした谷崎。
1930年8月、あの小田原事件から約9年後😱
佐藤の離婚2ヶ月後😱
「千代を佐藤に譲る」などが書かれた谷崎、佐藤、千代の三人連盟の声明が新聞報道され大問題になったというのが
【細君譲渡事件】
どんな事件やねん。
ひえーーー😱
そして、佐藤春夫と千代は結婚し、谷崎と千代の間にいた娘と暮らすことになる。
そしてこの娘は後に佐藤春夫の姉の息子と結婚することになる。
そして佐藤と千代の間にも息子がうまれる。
息子の名前「方哉」(まさや)は谷崎が考えたてウィキに書いてあった。ほんまかいなー!😱
谷崎の方は翌年にまた別の女性で文藝春秋社の記者をしていた古川丁未子(とみこ)と結婚したが約1年半で別居。その約2年後離婚。
(この古川丁未子、めっちゃ美人。橋本環奈似)
その3ヶ月経たないうちに、森田松子(『細雪』のモデルの姉妹のひとり)と結婚。
実は松子との仲は千代の頃から続いていて、松子も夫がいたけど離婚して谷崎と結婚。(松子の夫も松子の妹と駆け落ちしたというやばさ…)
それぞれの出来事が作品のモデルとなって「芸の肥やし」になっているのではあろうけれど。
ひえーーーーこわすぎ😱😱😱
現実は小説より奇なり…
あれ?気づいたら谷崎潤一郎のことを調べまくっていた。。
あーこわこわ。
しゃべる佐藤春夫さんがNHKアーカイブスで見られたのではっておきます。
というわけで、宣伝。
チケットまだ手持ちございますので、お越しくださるときは事務局とかホールとかではなく、直接お声がけくださいませ!m(_ _)m
関西歌曲研究会
第94回演奏会
日本歌曲の流れ
大中恩&湯山昭をうたう
10月11日(金)18:30開演
兵庫県立芸術文化センター神戸女学院小ホール
阪急西宮北口駅から直結
チケット3,000円
私が歌う曲はこの四曲です。
湯山 昭作曲の二曲
くじらの子守唄 阪田 寛夫 作詩
歌ごえはささやく 中村 千栄子 作詩
と、
大中 恩作曲の二曲
しぐれに寄する抒情 佐藤 春夫 作詩
よる 土田 藍 作詩
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